品川歴史散歩

時差Bizで少し早く仕事が終わったので、早速職場の廻りを史跡巡りしました。

こういう時差Biz利用方法もあるだろうと、自慢したいのですが、実は品川から大井町までの電車代を節約したいだけの、ちょっと哀しい歴史散歩です(笑)。

旧東海道の品川宿(写真①)を通過します。60thの青い旗が印象的です。
今年は、品川台場の何かが60周年なのですね!

何だろう?ググると東京港60周年だそうです。東京港って戦後の開港なの?と横浜150周年をこの間迎えた私としては、不思議な感じがします。
①旧東海道宿 看板が左に見えます?


まずは品川台場採土跡と言うことで、御殿山の採土場に来ました。(写真②)
②品川台場の採土箇所とされる坂(左:坂下 右:坂上)

そう、坂と工事現場があるだけで、石碑も無し!これぞマイナー史跡の優等生ですね。(写真③)
③多分、この辺りの土を一生懸命崩して7基の台場を作ったのでしょう。

ご存じのように、お台場は、あの伊豆の頼朝が配流されていた蛭が小島の直ぐ近くに屋敷のあった江川太郎左衛門が設計を担当しています。(絵⑤)

この辺り、お台場に関する拙著blog「お台場」もご笑覧ください。(ここをクリック
⑤江川太郎左衛門
さて採土場とされる裏は、JR線路です。(写真⑥)
⑥品川台場採土場裏はJR線路
まさにこの線路の辺りから土を採ったのでは?と想像しましたが、時代が違いますね(笑)。

JRを渡ったところにある御殿山庭園は、もうアブラゼミが鳴いていて鬱蒼とした森が、都心に居ることを忘れさせてくれました。(写真⑦)
⑦御殿山庭園

さて、次は品川神社です。(写真⑧)

⑧品川神社の石碑はでかくて立派!

やたらと大きな神社石の横、急階段を上って辿り着いた境内の空が綺麗でした。(写真⑨)

⑨薄暗い境内には誰も居ませんが空が綺麗でした

実は2年前まで居た部署では、毎年正月の仕事初めには、この神社に安全祈願をしていました。

ところが何度も来ているのに、歴史上有名な人のお墓があるとは露も知らず、Facebookの方から教えて貰って驚愕したので、今日はそのお方のお墓を確かめに来たのです。

そう、板垣退助さんです。教えて頂いた通り、神社の裏にありました。(写真⑩)

⑩品川神社裏にある立派な板垣退助の墓

大体、どうして神社にお墓があるのでしょうか?そもそもが不思議です。

ちゃんと「板垣死すとも、自由は死せず」と本人が云ったのかどうか怪しいとの説もある名言の碑もあります(写真⑪)
⑪有名な板垣のお言葉!
この言葉は、板垣が刺された時に、犯人の相原を取り押さえた内藤魯一という有志が、事件の時に言った言葉を、後に板垣が言ったものという説が有力です。

しかし、平日の夕方は、こんな東京の真ん中の神社でも誰も居ないのですね。(写真⑫)

⑫境内にある鳥居

品川神社境内の中、有名な富士塚の横にある浅間神社には「富士蛙(ぶじかえる)」がありました。(写真⑬)

⑬富士塚と麓にある「ぶじかえる」&浅間神社

「ぶじかえる」くんのお蔭で、この後、大井町駅を経て無事帰宅しました。

この小旅行の最後、大井町駅へ向かう途中の海蔵寺の境内から見えた夕焼けに、夏を感じながらも、何か物悲しさを感じました。(写真⑭)

⑭大井町近く海蔵寺から見た夕焼け
お読みいただき、ありがとうございました。

---Blog「マイナー・史跡巡り」(お台場)



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