クロアゲハ羽化2

今日、妻から昼休みにLINEがあり、「もう1匹、カボスにクロアゲハの大きな幼虫がいるから確保しようか?」と相談して来ました。

実は、既に我が家には写真①のような大きな幼虫2匹がいるのですが、これが凄い大食漢。庭のカボスの葉の供給力の限界に来ているのです。

①大食漢の2人

前の記事でも書きましたが、奴ら産み付けられた木の葉しか絶対に食べないのです。柑橘系の木(みかん、カボス、山椒も)なら、アゲハは何でも卵を産み付けますが、幼虫の方は、卵が付着した木の葉や茎しか絶対に食べません。同じ種類の木だから大丈夫だろうなんてあげても、何故か飢えても食べずに死んでいくのです。それだけ親であるアゲハを信頼しているのですかね?親が「ここなら大丈夫!」といって産み付けた木の葉なら育つことが出来ると・・・。

ちょっとの間、そんな事を考え、ちらっと禿禿になるカボスを想像しました。
しかし、ここは人命救助(幼虫命救助?)の観点から、「そうだね。鳥に食べられないうちに確保してあげないとね。」と返信しました。

次の妻のリプライは、「カボスにもう居ないや。既に鳥にさらわれたみたい。」

私「・・・」

◆ ◇ ◆ ◇

実は2週間前、前回の記事でご報告した後、また1匹、写真②のように蛹(さなぎ)になりました。以前のレポート時の時の蛹は茶色だった(ここをクリック)のですが、今回の蛹は緑色をしていました。

②今回は緑の蛹(さなぎ)


なので、「ん、これは前回のクロアゲハとは違う種類のアゲハだな。きっと。」と思って羽化を心待ちにしておりましたところ、何と出て来たのは写真③のように、やはりクロアゲハ。ちょっとがっかり、みたいに思いつつも、前回同様に庭で放しました。
③羽化したばかりのクロアゲハ
ところが、なんとコイツ、飛べないのです。ちょっと飛ぶのですが、直ぐに落ちてバタバタします。どうやら右側の羽が伸びきらないで、少々皺のままなのが原因のようです。

かわいそうに、蛹から孵る時に、羽を上手く蛹のカラから出せなかったのでしょう。
自然界だったら、また即、鳥の餌食です。
もしかしたら、ずっと飛ぶことは出来ないかもしれません。そこでしばらく脱脂綿に砂糖水を作って、ケースの中で飼おうということになりました。

◆ ◇ ◆ ◇

やはり、先にお話ししたちょっと見ぬ間に食べられてしまった大きな幼虫も、このアゲハもそうですが、我々はヒラヒラ飛んでいる蝶を見ると、卵から幼虫を経て、蛹から蝶へと華麗な転身を行うのが、蝶としての一生として当たり前のように、つい思ってしまいます。

しかし、実際には、そもそも蛹直前の大きさの幼虫になれることすら、大変なことなのです。ここまでに成れるのは幼虫全体の100分の1だそうです。
だから、幼虫も懸命です。自分の体が大きくなっていく、目立つ状態を晒している時間をなるべく短くしようと、大至急葉っぱを大量に食べて、蛹になろうとしているのです。
単なる食いしん坊ではないのです。生きるのに、鳥に食べられないようにするのに懸命なのです。

それでも殆ど鳥にたべられる。

そして蛹。これも危ないです。何といっても全く移動できないのですから。懸命に見つけられづらい場所を探すのです。そして、木の枝の裏に隠れて蛹になる幼虫は茶色に。それ以外の場所で蛹になる幼虫は、葉っぱに見せかけるため緑色になるのです。

それでも、見つかって食べられちゃいます。そして、最後の難関である羽化を乗り越え、やっとやっと蝶になれても、今回のように羽化で何か失敗して飛べなければ、やはり鳥に食べられて終わりです。なんと過酷な生存競争なのでしょう。

卵を産み付けたアゲハは、200分の1の難関を潜り抜けて来たエリート中のエリート、だから子供である幼虫は、この親に絶対の信頼を置くのです。

また、途中で脱落していった愛すべきアゲハの幼虫や蝶は、このエリート蝶の踏み台になっているようなものです。代わりに鳥に食べられてあげているのです。無駄死ではなく、絶対必要な存在なのです。

◆ ◇ ◆ ◇

蝶は1週間程度しか生きられないと云います。
そこで今週末、飼っていたクロアゲハは、羽が随分と整ったようでしたので、思い切ってもう一度放してみることとしました。(写真④)
④また庭に放しましたがあまり飛びません

しかし、やはりあまり上手に飛べず、カボスの木から少し横にある、家の壁に張り付いたままとなってしまいました。(写真⑤)

⑤ちょっと飛んで壁に張り付くクロアゲハ
(まだ右の羽が小さいです)
仕方が無いですね。もうどうせ3,4日しか生きることは出来ないでしょうから、このまま本当に飛べないなら、それも運命でしょう。夕方になっていたので、このままにして、私たちは家に入りました。

◆ ◇ ◆ ◇

翌朝、このクロアゲハの横の雨戸を明けると、なんとコイツ、ヒラヒラと低空ですが、この庭を舞っているのが目に入りました!

「おっ!飛べているじゃん!」

と妻と喜んで、そのぎこちない飛行を眺めていました。

クロアゲハは、3回くらいヒラヒラと名残惜しそうに我が家の庭を旋回して飛んでいましたが、ついには他の家の庭伝いに飛んで行ってしまいました。

是非元気に飛び回り、交尾し、また卵を産みつけに戻ってきて欲しいです。

◆ ◇ ◆ ◇

長文お読みいただき、ありがとうございました。

品川歴史散歩

時差Bizで少し早く仕事が終わったので、早速職場の廻りを史跡巡りしました。

こういう時差Biz利用方法もあるだろうと、自慢したいのですが、実は品川から大井町までの電車代を節約したいだけの、ちょっと哀しい歴史散歩です(笑)。

旧東海道の品川宿(写真①)を通過します。60thの青い旗が印象的です。
今年は、品川台場の何かが60周年なのですね!

何だろう?ググると東京港60周年だそうです。東京港って戦後の開港なの?と横浜150周年をこの間迎えた私としては、不思議な感じがします。
①旧東海道宿 看板が左に見えます?


まずは品川台場採土跡と言うことで、御殿山の採土場に来ました。(写真②)
②品川台場の採土箇所とされる坂(左:坂下 右:坂上)

そう、坂と工事現場があるだけで、石碑も無し!これぞマイナー史跡の優等生ですね。(写真③)
③多分、この辺りの土を一生懸命崩して7基の台場を作ったのでしょう。

ご存じのように、お台場は、あの伊豆の頼朝が配流されていた蛭が小島の直ぐ近くに屋敷のあった江川太郎左衛門が設計を担当しています。(絵⑤)

この辺り、お台場に関する拙著blog「お台場」もご笑覧ください。(ここをクリック
⑤江川太郎左衛門
さて採土場とされる裏は、JR線路です。(写真⑥)
⑥品川台場採土場裏はJR線路
まさにこの線路の辺りから土を採ったのでは?と想像しましたが、時代が違いますね(笑)。

JRを渡ったところにある御殿山庭園は、もうアブラゼミが鳴いていて鬱蒼とした森が、都心に居ることを忘れさせてくれました。(写真⑦)
⑦御殿山庭園

さて、次は品川神社です。(写真⑧)

⑧品川神社の石碑はでかくて立派!

やたらと大きな神社石の横、急階段を上って辿り着いた境内の空が綺麗でした。(写真⑨)

⑨薄暗い境内には誰も居ませんが空が綺麗でした

実は2年前まで居た部署では、毎年正月の仕事初めには、この神社に安全祈願をしていました。

ところが何度も来ているのに、歴史上有名な人のお墓があるとは露も知らず、Facebookの方から教えて貰って驚愕したので、今日はそのお方のお墓を確かめに来たのです。

そう、板垣退助さんです。教えて頂いた通り、神社の裏にありました。(写真⑩)

⑩品川神社裏にある立派な板垣退助の墓

大体、どうして神社にお墓があるのでしょうか?そもそもが不思議です。

ちゃんと「板垣死すとも、自由は死せず」と本人が云ったのかどうか怪しいとの説もある名言の碑もあります(写真⑪)
⑪有名な板垣のお言葉!
この言葉は、板垣が刺された時に、犯人の相原を取り押さえた内藤魯一という有志が、事件の時に言った言葉を、後に板垣が言ったものという説が有力です。

しかし、平日の夕方は、こんな東京の真ん中の神社でも誰も居ないのですね。(写真⑫)

⑫境内にある鳥居

品川神社境内の中、有名な富士塚の横にある浅間神社には「富士蛙(ぶじかえる)」がありました。(写真⑬)

⑬富士塚と麓にある「ぶじかえる」&浅間神社

「ぶじかえる」くんのお蔭で、この後、大井町駅を経て無事帰宅しました。

この小旅行の最後、大井町駅へ向かう途中の海蔵寺の境内から見えた夕焼けに、夏を感じながらも、何か物悲しさを感じました。(写真⑭)

⑭大井町近く海蔵寺から見た夕焼け
お読みいただき、ありがとうございました。

---Blog「マイナー・史跡巡り」(お台場)



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品川歴史散歩

クロアゲハの羽化
クロアゲハ羽化2

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石橋山合戦 小話③ しとどの窟

思いがけないことで、「土肥の大椙跡」を発見出来た後、当初計画していた「しとどの窟」へ向かいます。

途中、前回のブログでも少し話が出た箱根のレーダー局の脇を通ります。
(写真①)

①レーダー局
国土交通省のレーダーのようですが、何に使うのでしょうか。私が小学校1年生の時、家族旅行で箱根・真鶴に行った時の絵日記に描いていますから、かれこれ40年以上はここにあり、防衛関係の歴史があるのでしょうね、やはり。

と考えながら、車で下って行くと、「しとどの窟」と書かれた看板を発見。
ただ、まだまだかなり標高は高く、ここから真鶴までは相当山を下らなければなりません。頼朝が舟で脱出するまでの隠れ家としては、海から離れすぎている気もします。

この看板横から、頼朝が舟で脱出をした真鶴方面を写したのが写真②です。
(写真②)
②しとどの窟の入り口辺りから真鶴方面を望む
(手前、初島が見えます。奥は大島)
ちょっと、距離ありますよね。まあ、海岸沿いになればなるほど、人家も多く、幾ら土肥実平の所領と言っても、平家軍への口止めが必ずしも効く訳ではないのですから、2~3日逗留するには、これくらい山奥でないとダメなのかもしれません。

駐車場に車を止めて、早速歩き始めます。前回の「土肥の大椙」の獣道に比べれば、舗装された道路、安心して進むことが出来ます。

駐車場から100mくらい歩くと、トンネルがあります。歩いて山の反対側に出ます。(写真③)
③トンネルを抜けて参道入り口へ
ちょっと開けた場所に出ますが、ここが「しとどの窟」への参道入り口です。(写真④)
④参道入り口
ここから、「しとどの窟」へは、かなり下っています。
ということは、また帰りはえらく登りになるなあ、と先程の土肥の大椙跡発見行程のトラウマが・・・

兎に角、てってこ、てってこ、参道の坂を下って行きます。(写真⑤)

驚くことに、日曜日の日中にも係らず、またこの参道でも私1人しかいないのです。
⑤「しとどの窟」への参道
この有名な「しとどの窟」でもです。
そうなると、ところどころに写真⑥のような地蔵があるのですが、妙にリアルな表情なので、ちょっと怖いです。(写真⑥)
⑥所々にリアルな表情の地蔵があります
つづら折りの階段を下りる事、15分くらい、結構距離あります。やっと標識が見えてきました。(写真⑦)
⑦あと80m
おっ、やっと着いた!と思ったのですが、違いますね。やたらに浅い岩の窟が続きます。
(写真⑧)
⑧やっと着いた!!
どうもここが本命の洞窟ではないようです。これでは7人どころか頼朝1人入るのも難しそう(笑)
(写真⑨)
⑨なんか奥が浅い洞窟です
ここまでずっと下りでしたが、ちょっとまた上ります。

「しとどの窟」もそうですが、この辺りの岩は、箱根外輪山の溶岩と火山砕屑物(噴火で放出された石や砂等)から出来ており、これらの窟は火山砕屑物の部分が割れて出来た洞なのです。

やっと、やっと、ありました。(写真⑩)
⑩着きました「しとどの窟」

この洞穴感、間違いありません。なんか沢山の鎌倉武士の霊がこちらを見ているようにも思える石仏たちが異様です。私しか居ませんし・・・・💦

しとどの窟から見える外界の景色は写真⑪のとおりですが、やはり、これでは梶原景時が頼朝らを見つけた時、ぬーっとは覗き込めません。(写真⑪)
⑪しとどの窟内から外界を見る
「しとど」の語源は「びっしょり濡れる」ということから、この窟は晴れているこの日でも水が滴り落ちていました。雨なぞ降った日には、かなり水量があるのでは?と思ってしまいます。(写真⑫)

頼朝らがこの窟に籠ったのは8月末、かなり蒸し暑かったことでしょう。
⑫窟の前をしとどに流れ落ちる水
実は、しとどの窟のいわれは、この話とは違った説が看板には書いてありました。

石橋山合戦の後の頼朝がこの窟に隠れていた時、平家の追手がこの窟を調査に来たのですが、「シトト」という鳥がこの窟から急に飛び出してきたので、人影がないものとして立ち去ったことより、「シトトの窟」⇒「しとどの窟」となったとの事です。(写真⑬)

⑬シトト

ほんとかなあ。なんかやはりこの水の滴り落ちから来る「しとど」が語源で、石橋山合戦の話と無理に絡めて、「シトト」という鳥が語源に話を換えたようにも感じますが・・・シトトの可愛さに免じて赦しましょう(笑)!

などと、思いつつも、頼朝が山木判官屋敷襲撃の源氏旗揚げから、石橋山合戦まで、大事に持っていた正観音を埋めた場所なのだと思うと、この場所での頼朝の心境の変化、脱皮振りが後の武家中心社会を創る原動力となった場所なのだなあと、来た甲斐を感じながら、元来た道を1人辿るのでした。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!



---Blog「マイナー・史跡巡り」(三浦一族② ~石橋山合戦~)
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