三増峠④外小話:甲斐善光寺

さて、小話もこのシリーズでは、最後になると思いますが、今回は甲斐善光寺です。(写真①
①甲斐善光寺

正直、驚きました。

甲斐善光寺が、あの有名な川中島の戦いの時に、現在の長野市にある信濃善光寺から、本尊を戦火から避難させる目的で、武田信玄が甲斐に持ち帰り、甲府に善光寺を建てて暫く本尊を置いておいた。

という知識くらいしか無かったのですが、実は、この善光寺ご本尊様、戦国時代にこれ程多くの有名な武将たちを遍歴して回った本尊なのですね。

②甲斐善光寺本堂
普通は、全国津々浦々、歴史上有名な方が、そこに設置してある有名な仏像なり本尊なりに詣でてくることは沢山あっても、本尊自ら全国行脚のように、あちこち出回ったというのは、私の知る限り、この善光寺本尊だけです。

簡単に本尊(善光寺如来)が戦国期に移動した順を追いますと

①信濃善光寺(現在地)

(②新潟直江津へ上杉謙信がやはり川中島の戦いの戦火を避けるためで持って帰った。但し偽物だったらしい?)

③1558年 甲斐へ武田信玄が川中島の戦いの戦火を避けるためで持って帰った(甲斐善光寺建立)   

④1582年 武田氏が滅びると、織田信雄が愛知県清洲城下へ持っていく

⑤1583年 織田氏が滅びると、徳川家康が甲斐善光寺へ本尊を戻す(写真②

⑥1596年 豊臣の方広寺の大仏が地震により倒壊したので、代わりに甲斐善光寺から本尊を方広寺の大仏殿に設置する

⑦1598年 本尊は信濃善光寺に戻される(現在地)

いや~ざっと戦国期40年間の旅に出た訳で、上杉謙信やら武田信玄やら織田信雄、徳川家康、豊臣秀吉と、時代の主流派に会ってきた旅のようですね。

写真③は、前回甲府盆地が雲海の中との説明やら写真を掲載しましたが、要はその雲海の中ということが良く分かる写真ですね。この善光寺を遠望する辺りは板垣の里と言われ、武田四天王の1人、板垣氏の所領だったところのようです。(写真③
③雲海の下の板垣の里

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三増峠③外小話:御旗

さて、前回武田家家宝「御旗・楯無」の「楯無」鎧について、菅田天神社にオリジナルを求めて行った話を書きましたが、今回は「御旗」です。 これは見ることができました。菅田天神社から、北東に国道411号を上ること30分。あの超長編小説で有名な「大菩薩峠」近くの雲峰寺というところです。(写真①
①雲峰寺

横を笛吹川源流が流れており、風光明媚な場所ですね。(写真②
②笛吹川源流

雲峰寺というだけに、以前、Facebookでも公開した甲府盆地の雲海も、このお寺でも写真のように見えました。なんとなくこの辺り、「雲」の付く寺社が多い気がします。やはりこのような雲海が良く見られるからなのですかね?(写真③
見学料300円を払うと、孫子の風林火山の旗等と一緒に「御旗」のオリジナルを見ることが出来ます。 見つけた「御旗」のオリジナルは、やはり年代を感じるくすんだ赤の大丸でした。(写真④
④「御旗」

なんか見たデザインだなあと思っていると、どうやらこれが最古の「日の丸」らしいですね。1056年と言いますので、平安時代末期です。そりゃあ、くすみますよね。 御旗・楯無もご照覧あれ! いつか、この御旗と楯無のオリジナル2つを同じ場所に並べて、この武田家が代々言ってきた言葉を、私たちも言ってみたいものです。

---Blog「マイナー・史跡巡り」(三増峠の戦い① ~武田信玄vs北条氏康~)
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